「お金(という概念)はピークを超えてしまった??」
かどうか、というお話。
前のポストで、
「生活寿命(労働寿命)が長くなる一方で、労働技術(スキル)の寿命は短くなっている」。
と、のべたけれど。
どんな物事にも流行り廃りがあって、ある一定のところを越えるとあとは収束していく。
そういう意味では、お金という概念はピークを超えたのではないだろうか。
- 食べ物や、寝床、衣食などに使う最低限のお金
- 金持ちが、贅沢品につかうお金
- ビジネスに対して動くお金
- 国家間で動くお金
それぞれが圧倒的に利用される単位が違うのに、これらすべてが、同じものとして兌換可能というのは よく考えると実は不思議で不便な概念かもしれませんん。
そもそもお金と言うものが多くの人を幸せにしているわけではない、というところに行き着くと、
(現状はある程度幸せに寄与していると思うけれど、格差が進むとどうなるかわからない)
お金に換わる、もしくは、お金の一部を置き換える評価基軸が必要と、されるはずです。
そして、ふと見回してみると、 NPOや、フェアトレード、物々交換、ボランティア型サービス(欧米のwebサービスに多いです) そういった試みは実にたくさんやられている。
この疑問は、おそらく、近い将来、単純労働の労働のロボット化、衣食住最低限のものが、保証されるような社会ができれば、よりクローズアップされることになるでしょう。
その時、人類がより幸福な形で、お金からの脱却ができることを期待しています。
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