2013年5月30日木曜日

楽器を二回叩くと何が生まれる?


「ジャーン」とピアノを一回叩くと、音が生まれる。
じゃあ「ジャーン、ジャーン」と2回叩くと、何が生まれる?
そう、音楽が生まれるのです。

一度鳴るだけなら、’音の固まり’に過ぎなかったものが、
二回鳴らされると、音と音との間隔にリズムが生まれ、テンポが生じます。
そして「音楽」が生まれてくるのです。

(でここから先はちょっとマニアックな話)
プログラミングと「音」はひじょーに相性がいい。

本屋に行って、波形処理関係の教科書を見れば
時間軸で**khzでサンプリングして、**bitで録音。
フーリエ変換して、フィルタつくって、
イコライザの出来上がり、なんて書いてある。

(イコライザ作ってみたい人はこういう本を参考に  よくわかる信号処理 - フーリエ解析からウェーブレット変換まで

ただその反面「音楽を扱う」、事に関する
資料って圧倒的に少ないと思う訳です。
とりわけITと音楽に興味が有る学生などへの資料という意味でも。

コンピューターのプログラミングは基本的にリニアな物で、
命令をとにかくはやくこなそうはやくこなそう、とするものなので
きっかり1秒後に次の音を鳴らす、という処理をする場合
最初の音をならす→一秒休む→次の音を鳴らす
という複雑な処理になる。

この場合の1秒って目覚まし時計機能なら、0.94秒でも1.06秒でもいいかもしれないけど、
音楽だと0.0X秒単位のズレが致命的になって、これを実現するための
ノウハウ、ここでは割愛するけど、結構これが奥が深いのです。

この辺りの話はいずれまた。



2013年5月11日土曜日

明治新政府と音楽 〜雅楽を五線譜にかいてみる?〜

さて、なんで君が代の伴奏はオーケストラなのでしょう?

でのべた、明治維新後の音楽教育の形。

このころは、文化的に急発展することを迫られていた時代、西洋へのコンプレックスや、日本古来の文化への信頼の揺らぎなどがいっしょになって、音楽以外にも様々な分野で混乱が有りました。

たとえば、

食事はパンのみの方がいいんじゃないか?

日本語では、世界と戦えない、英語を共通語にすべき!!

みたいな話。

音楽も例外じゃなくて、

すべて西洋音楽を学ぶべきだ!
日本固有の音楽を学ぶべきだ
西洋音楽と東洋音楽の両方、がいいのでは。。。

との3つの意見があったのです。

のですが、結局明治政府は3の意見を採用しました。

そして、現在のように、クラシックも学べば、雅楽もわらべ歌も学ぶというカリキュラムになっていったのです。
個人的には日本の音楽教育は結構成功したと思いますが、しかし、中では決して成功と呼べないチャレンジも有ったみたいです。

面白いのが、本来独特の記譜方で書かれていた、雅楽などの日本の楽器も
全部五線譜に書き直そうというチャレンジが行われたこと。

でも結局当たり前ですが、西洋音楽とは根本的に違う日本の音楽を五線譜に書き示すことはできずに、頓挫したのでした。
(たとえば、こぶし、などの概念は五線譜に当てはめにくいですよね)

こういったチャレンジはとても大事なことだと思いますが、システムだけ輸入して、強引に当てはめようとして失敗する試み、結構今でもあるかもしれませんね。

2013年5月9日木曜日

ミュージシャンはモテる、というのは本当か?


とある実験で貧乏な音楽・芸術家と、お金を持っている実業家との男性、のふたグループを妊娠の周期にある女性に選んでもらうというのがある。

結果は。。。。。もちろん芸術家が勝ったのだ。

これを行ったのは心理学者のGeoffrey Millerという人。

この人の他の論文には、

人間の音楽はモテるため(性的選択(Sexual selection))のために進化した

なんてのがある。

要は人間が音楽を身につけるのは、鳥が唄を唄って、異性を引きつける、のと同じである、ということ。

たしかに、鳥にとって、歌というのは生物的に何の意味も無いらしく、要は異性を引きつけるための’美しさ’の一部なのだそうだ。

まさに モテる→音楽がんばる→モテる→音楽がんばる

のループで人類は音楽を進化させた!のだそうだ。

ダーウィンもびっくりである。

まあ、そんな実験はさておき、音楽家がモテる

楽器をできるとなんか周りから一目置かれるというのは確かなようだ。

ピアノやバイオリンが弾けるというのはかなり強い武器になるし、音楽の素養がある、というのは、男女問わずというのはある種魅力的に見えることは確かだ。

よくバンドマンではベースがモテるなんて話もきくが、(低音が子宮に響くからとか、冗談みたいな理由がささやかれたり。。)この辺りは、声の良い人がモテるのに近いかもしれないね。

まああれだ、もてたきゃ音楽をやれよというのは心理学的見地からいっても正しいようです。

音楽やってるのにモテなかったぞ!みたいな苦情は受け付けられませんので、悪しからず。。。




2013年5月8日水曜日

いわゆる楽譜はでかすぎやしないかという話


Nexus7を導入してからiPadを使うことがほとんどなくなりました。

7インチサイズは片手で読めるので、自分的に本は読むのにはこっちの方が便利ですね。

そんなかふと気づいたのですが、自分の使い方で問題となるのは一点、楽譜を見るときです。

というか、たいていの場合楽譜って大きすぎるのです。

売られてる楽譜ってたいていA4よりちょっと大きいくらい。

Nexus7やらkindleやらだと小さすぎて困るし、ipad 10インチでようやく許せるかなというレベル。

楽譜は演奏中にめくる数を如何に少なくするかに焦点が当てられてるので、基本的には大きければ大きいほどほど便利だったりします。

しかしこれは基本的に本より小型媒体で見ることを前提としている電子書籍とは、相性が良くない、と思う訳です。

いまのところ電子版として売られている楽譜も本の形態をそのまま写した物が多いので、やたら大きいです。

たいてい最初から印刷することを想定してるというのもありますが。

このあたりまだまだ工夫の余地がありそうですね!

2013年5月5日日曜日

寺井尚子コンサート @横浜motion blue


昨日の寺井尚子のステージひじょーによかったなあ。
本日はちと余韻が残っているのです。

曲目で覚えてるのは

my favorite things
リベルタンゴ
Waltz for Debby
spain
とかとか、、十曲くらい?

こういったコンサートって
もちろん目一杯緊張感を持ってスタートして、
演者も客もシリアスな顔でとにかく演奏に集中するんだけど、
最後の最後で、アンコール後なんかに演者が爆発するような
笑顔になっちゃったりしてるのが好き。

音楽コンサートって、もちろん一通りの筋書き通りはあるけれど、他の分野と違って、
(演劇とか、映画とか。。。)
逸脱する物だし、逸脱することが許されるんだよね。
重要なのは、逸脱する方向に、観客がついてきてくれること。

緊張感と、早いパッセージ
んで、最後に笑顔がとっても上手。
寺井尚子はそういう人だった。

http://www.t-naoko.com/