2013年5月11日土曜日

明治新政府と音楽 〜雅楽を五線譜にかいてみる?〜

さて、なんで君が代の伴奏はオーケストラなのでしょう?

でのべた、明治維新後の音楽教育の形。

このころは、文化的に急発展することを迫られていた時代、西洋へのコンプレックスや、日本古来の文化への信頼の揺らぎなどがいっしょになって、音楽以外にも様々な分野で混乱が有りました。

たとえば、

食事はパンのみの方がいいんじゃないか?

日本語では、世界と戦えない、英語を共通語にすべき!!

みたいな話。

音楽も例外じゃなくて、

すべて西洋音楽を学ぶべきだ!
日本固有の音楽を学ぶべきだ
西洋音楽と東洋音楽の両方、がいいのでは。。。

との3つの意見があったのです。

のですが、結局明治政府は3の意見を採用しました。

そして、現在のように、クラシックも学べば、雅楽もわらべ歌も学ぶというカリキュラムになっていったのです。
個人的には日本の音楽教育は結構成功したと思いますが、しかし、中では決して成功と呼べないチャレンジも有ったみたいです。

面白いのが、本来独特の記譜方で書かれていた、雅楽などの日本の楽器も
全部五線譜に書き直そうというチャレンジが行われたこと。

でも結局当たり前ですが、西洋音楽とは根本的に違う日本の音楽を五線譜に書き示すことはできずに、頓挫したのでした。
(たとえば、こぶし、などの概念は五線譜に当てはめにくいですよね)

こういったチャレンジはとても大事なことだと思いますが、システムだけ輸入して、強引に当てはめようとして失敗する試み、結構今でもあるかもしれませんね。

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